狂気!24時間勤務!?限界突破の36時間勤務!起こした事故と転職成功までの顛末(警備員後編)

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警備員、勤務時間を、ご紹介

前回から散々引っ張ってきた勤務時間について書いていきたいと思います。

警備員編前編はこちら

警備員編中編はこちら

とりあえずおさらいとして

  • 早番→8:30~18:00 拘束時間は9.5時間
  • 遅番→18:00~8:30 拘束時間は14:5時間
  • 24時間勤務→18:00~18:00 拘束時間は文字通り驚きの24時間
  • EXTRA、36時間勤務 もはや狂気、18:00~翌々日8:30

早番単発からの翌日夜勤というのは休みに匹敵するボーナスタイムでしたが、会社には営業や経理、社長など他の人間も会社に出勤してくるので夜勤よりも気を抜ける時間は少なかったです。

基本的に早番というのは24時間勤務の中での早番タイムというだけで、単発は基本的に少なかったです。

24時間勤務は【にーよんきんむ】

36時間勤務は【さぶろくきんむ】

と、呼ばれていました。

とは言え、36勤務は欠員が出たりなどの特殊な条件でなければ組まれることはありませんでしたので、基本は早番、遅番、24勤務の3パターンでした。

もちろん、元勤務先にはタイムカードとかいう文化はなく、手書きのシフト表が全てだったので、24時間働こうが深夜に働こうが手当なんて出ませんでした。

ちなみに、友人知人に勤務時間の話をすると

友人A
友人A

そんな面白くしようと話盛らなくてもいいよ

とか

友人B
友人B

そんなえぐい目に合うほど前世で何か悪いことしたん?

とか、ボチボチボロクソな言われようでした。

そして、当時は何とも思っていませんでしたが、この記事を書くにあたって警備員の勤務時間とか色々調べたんですが、なるほど他社は天国かな?と、思えるぐらいの違いがありました。

主に24時間勤務についてですが、そこを少し書いていきたいと思います。

24時間働いた後に24時間働くという不思議

色々と調べた結果、コラムサイト警備メディア様の方に興味深いというか、一般的な24時間勤務についての記載があったので、そちらを引用させていただきます。

24時間体制で警備を行う業務がある時、3交代制の勤務体系をとっている会社もありますが、1人が24時間連続勤務を行う会社もあります。

警備員に役立つコラムサイト、警備メディアより引用

24時間体制で警備を行う業務がある時、3交代制の勤務体系をとっている会社もありますが、1人が24時間連続勤務を行う会社もあります。
24時間連続勤務の時、休憩時間はトータルで8時間、実質の労働時間は16時間程度というのが一般的です。つまり24時間で2日分の仕事をしている計算となります。
深夜の休憩は仮眠時間となり、4~5時間ほど連続してとれるのが一般的です。
24時間勤務では、勤務当日を当務、翌日を明け、翌々日を休日として勤務日が回っていきます。24時間働いて2日休み、また24時間働いて2日休みといった具合です。
そのため、警備員の中には「24時間勤務の方が楽」という方もいるようです。この勤務体系だと、平日が休みになるというのもメリットですね。

全体的にこれから僕が書く内容と、警備メディア様の記事内容との違いがありますので、もし興味がありましたらリンクを貼らせていただきました警備メディア様のコラムに一度目を通していただけると、これから読む内容が一味も二味も変わってくるのではないかと思います

さて、警備メディア様と違う点は、24時間勤務の後に、明け休みと翌日の休みなんてものは存在しないという点です。

仮に18:00から翌日の18:00まで働いたとしましょう。一般的には2日後の18:00までは明け休みと休みのはずです。

24勤務翌日の8:30からの出勤、普通にありました

もちろん、何らかの手当てがつくだとかそういったこともありません。

ひどいときには、8:30出勤の翌日8:30退勤からのそのまま18:00からの出勤も普通にありました。

さらにさらに、運が悪いと8:30退勤のはずが、まだ交代要員が来てない8:00ぐらいに出動が来て対応が長引き、会社に戻ったのが10:00ぐらいになり、そこから報告書などを作成し帰るのが11:00過ぎ。

そして7時間後には普通に夜勤のパターンもありました。

もちろん、残業代とかでるはずもなく、11:00に帰宅、お風呂や食事を済ませ数時間仮眠し流水のように流れる動きで夜勤へGOというデスロードが当たり前みたいに行われていました。

極限に運が悪ければ、そこから24時間勤務です。

もちろん、勤務中に仮眠時間を表向き設けられていますが、前回、前々回も書きましたがあってないようなもので、配置場所によってはずっと動きっぱなしになることも少なくありませんでした。

とはいえ、基本会社には

  • エリア1
  • エリア2
  • 電話対応や機動指示を出す管制員2名

合計4人いたので、勤務内容によってはそれぞれがフォローしあっていたのでまだマシでした。

もちろん、真剣に体調面や、疲労からのミスなども考慮しての配慮ですが、こういった連携を取れなければ仕事は回りませんでした。

なので、仕事内での人間関係というのは非常に大切で、仕事以上に神経を使うところであったともいえます。

勤務していた当時は思考停止して働いていたので、それが普通だと思っていましたが、今回記事を書くにあたって色々調べていますとまぁ出てくる当時のおかしかった点

この24時間勤務の後に開け休みと休みがあるなんて幻想のおとぎ話でした。

大手警備会社に勤めていた友人から、うちは明け休みと休みあるで、と言われてもそれは大手だからであって、小さな会社には関係ないんだと本気で思ってました。

大手、中小関係なく一般的な話でした。

ですので、仮にこのページに辿り着いたのが、検索で警備員、転職で調べた結果の場合入社前によく確認しておきましょう。

もう一度言いますが、僕の記事は機械警備業務に従事していた経験です。

施設警備も雑踏警備も警備員であることに変わりはありませんが、働き方は大きく違いますので、自分がなりたい警備員の種類と業務内容、そして勤務時間や休日などは事前に良く調べて確認しましょう。

仮に風邪をひいたとしましょう。

一応は楽なエリアに回してもらえますが、楽なエリアとは言え仕事は仕事なのでマジで治りません

じゃあ休めやと思うかもしれませんが、少ない人員で回していた為、自分が休むと他の隊員が24時間勤務の割り当てを受けたり、迷惑がかかるのと、休んだ後は休んだ時に頑張ってくれた他の隊員を休ませる為に激務なエリアに割り当てられることが多かったので純粋に嫌でした。

今にして思えばこの考えがすでに思考能力やられていたのだなと思います。

36時間勤務については特に語ることもないのですが、書いて字のごとくとはいきませんが24時間勤務+早or遅番なので、正確には33.5時間勤務か38.5時間勤務ですね。

頭おかしい

当時から思っていましたが、今でも思いますね。

ネジが飛んでしまっていたんでしょう、頭の。

当然、そんな勤務をしてて事故が起こらないわけもなく

18:00から18:00の24時間勤務で一番睡魔が来るのは12:00~17:00の間でした。

早番タイムのどこかで仮眠をとれることもありましたが、機械警備の出動以外にもお金を出し入れする機械の故障対応や駐車場の出庫対応、他にも様々な対応があったので仮眠をとれる時間はほとんどありませんでした。

そして、その日は訪れました。

15:00ぐらいだったのを今でも覚えています。

あと少し頑張れば帰れる。そして次は遅番なので実質24時間は自由だと考えていました。

その時は客先のライフラインの復旧させる作業で、現場に向かっている途中でした。

信号待ちで少し意識を飛ばしてしまい、ブレーキから足を離してしまったようで、前の車に突っ込みました。

完全にこちらの落ち度ですので、すぐに警察を呼び会社に報告し別の人員に現場対応を任せ、事故対応の為現場に残り、諸々の処理が終わった後、会社に戻りました。

待っていたのは、現場の隊員や現場責任者、営業や警備部、常務に専務に社長室へのツアーごめんなさい。

一通り報告と謝罪ツアーの後は18:00から勤務の隊員と引継ぎを行う際にもツアーごめんなさいは続き、各々業務に戻っている中報告書と始末書の作成。

書類内容が多かったのと、24時間勤務後で頭が働いていなかったので一時帰宅、家に帰ったのは22:30ぐらいでした。

18:00出勤の予定だった僕は昼前に会社に行き、現場責任者と菓子折りを持って事故被害者宅に謝罪に向かい、被害者の方に菓子折りを渡し謝罪をした後に会社で前日やり残した書類作成に取り掛かり、なんだかんだで全部の書類を済ませたのが17:00ぐらい。

そこでツアーごめんなさいセミファイナル、会場は社長室に向かい書類を提出しました

その場で言われたのは、事故での相手の車の修理代や諸々の9割は会社が持つので1割は僕が持つようにとの事でした。

50万ほどとの事で、1割の5万が手取り16万の給料から引かれます。

名目としては、会社が全額持つと今後の再発防止のためにならないということでした。

タイミング悪く、その時僕は警備員の資格試験を受けている最中であり、落ちたら試験代は全額自己負担、合格すれば半分会社が出してくれるというものでした。

会社が試験受けて来いと指示していったのに受かっても半額取られます。

つくづく顧客の財産と安全を守ることはあっても、自社警備員の生活は守ってもらえないのだなと思いました。

結局合格はしましたが不思議なことに半額は自己負担でしたので、その月の給料は手取りで9万切っていたと思います。

本気で生活できないレベルまで追い込まれました。

当時、被害者の方に対する申し訳なさと、同じ部署の機動隊員に迷惑をかけてしまったことに対する反省はもちろんありましたが、他の隊員はあの勤務状態じゃ仕方がない、気にするなと言ってくれましたが、他の部署の「やりやがったなこいつ」というような対応は今でも覚えています。

そして、ツアーごめんなさいファイナルは夜勤明けの会社全体での朝礼で全社員の前で反省と再発防止の対応策を発表させられ、終わりました。

適当な再発防止策を発表しましたが、本音は勤務内容と時間をどうにかしてくれと言いたかったです。

現場責任者に止められましたが……

もちろん、事故を起こしたのは僕だけではなく、基本的に車での現場出動が多かったので脱輪や自損は当たり前のようにありました。再発防止もクソもありません、全員が疲れていました。

もちろん、定期的に人員の補充を行ってはもらえましたが離職率は当たり前のように8割越え

長く持っても1年、早ければ1ヶ月で来なくなったというのもありました。

この半年後ぐらいに我慢の限界が来て、人事課長にセルフのガソリンスタンドの定員の空きは出たかと尋ねたところ

人事課長
人事課長

面白い冗談言うなぁwww仕事の内容ほとんど把握してて、役職もそこまで上がったんやから、このまま機動で現場責任者コースやろ?出世街道のレール乗ったなwww

との、ありがたい回答が返ってきたので、その日のうちに派遣会社の登録とハローワーク通いを始めました。

正直、セルフのガソリンスタンドへの異動を心の支えにして3年間頑張ってきてたので限界ラインをたやすく突破しました。。

その後、1か月ほど僕のシフトが比較的優しい配置だったので、裏で話が回っていたのはお察しでした。

地獄からの脱出

上記で、派遣会社に登録し、ハローワークに通いだして半年後。

なんやかんやでまだ警備員をしていました。

部下を持ち、役職も上がりゴリッゴリに捕獲されている感が凄かったです。

そういったこともありましたが、やはり正社員という枠を飛び出して派遣社員でやり直すということが怖かったのもあります。

当時で20代後半、30代が見えてきていました。

30代に突入する前にと思ってはいましたが、なかなか動けずにいましたが、ついに転機が来ました。

嫌気がマックスに差し掛かっていたころ、登録していた派遣会社から紹介予定型派遣の誘いがありました。

派遣先で使えないと判断されれば、契約を切られ無職に転落ですが、この機を逃せば勤務時間や給料的に結婚もできない、メンタルも体ももたないという未来が見えていたので、思い切って退職しました。

今現在は、その派遣先で正社員として勤め、当時付き合っていた現在の嫁と結婚し、家を建て、娘を授かりました。

子供が産まれるまで、転職してから5年以内で結婚、家、子供という人生のイベントを一気に駆け抜けたので、転職してから今日までの内容は実に濃いものでした。

色々と迷惑をかけた友人の手助けや運などもありましたが、今では人並みに人間らしい暮らしをできています。

警備員という職業を振り返って

色々と書いてきましたが、振り返ってみれば色々と貴重な体験ができて悪い事ばかりだったというわけでもなかったように思えます。

その貴重な体験の対価が寿命やらメンタルやらだったので割に合わない感はありますが、夜勤が終わってからそのままパチンコ屋に並んで閉店まで遊んだこともありますし、平日休みがほとんどだったので遊ぶのも人ごみにもまれるということも少なかったです。

同じ部署で働く人間も優しく親切でした。

リアルに誰かが倒れれば全員に被害が及ぶというのもありましたが、お互い助け合うという精神を持っていたので、人間は本当に良かったです。

しいて誰が悪いかと言えば、現場に目を向けず改善もしてくれなかった会社でしょうか。

また、シフトもある程度融通が利いた部分もあったので、その辺もずいぶん助けられました。

それでも、ずっと働けるような仕事だったかと言われれば今でもはっきりとNOです。

子供がいまれた今、仮に警備員を続けていたとしたら積極的に育児などに協力できていたか?と聞かれたらNOですし、そもそも結婚していたかも怪しいところだったでしょう。

あと、これはおまけ程度ですが、夜勤をしていると、晩御飯というのは基本出前だったので、1勤務で1,000円前後のお金が飛んでいきました、仮に20日夜勤で働いたとして2万円なので、ここが非常に厳しかったです。

自分でお弁当を作ったり、総菜パンで済ませたりと抵抗はしましたが、周りの人間が出前を頼んでいる中1人だけその輪を乱すのもおかしいという空気が当時はあったので、結局出前がメインでした。

人生において、少し経験してみる分には色々な施設の裏の部分が見れたり、タイムカードのありがたみを感じれたりと経験値を貯めるにはいいかもしれません。

転職後、まだ日が昇っているうちに帰宅したときは逆に不安になれるような経験を自分の人生でできたことは本当に貴重だったと思います。

以上で3記事続いた警備員時代のお話は終わりになります。

しつこいようですが、他の警備会社がこうであるというわけではありませんので、警備会社に就職する際は面接時に色々確認するようにしておきましょう。

基本的に施設警備の仕事ならばここまでひどいことにはならず、なんなら比較的楽と言い切れるまであります。

後は僕が経験した仕事でパンチが効いていた仕事シリーズが2つほどありますが、それもいずれ記事で書けたらなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

他の記事も流れで読んでいただけると嬉しいです。

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