パチンコ屋の今と昔で違う点と2000年前半ぐらいにパチンコ屋で働いていた思い出少し

パチ屋サムネ

僕のパチンコ業界での最古の記憶はいつだったか、多分ダブルアップとターミネーター。

初めて液晶が搭載されたゲゲゲの鬼太郎より前だったのは間違いない。

時の流れを思い出すのがその頃出ていたスロット機種とかいう時点でろくでもない青春を送っていた頃が窺えます。

地元の土地の話をしている時に場所が分からない時は近隣のパチンコ屋でわかる

時代の話をしてる時には「その頃スロットなにあった?」これで大体わかる

高い買い物をするときは「等価で6000枚分か……」と、いちいちメダルor球で考える

普通は場所が分からなければ、あぁ友達と遊びによく行くよ(ドヤッ)とか

時代の話してる時は、あの子とお付き合いしてた時代ね(ドヤッ)とか

高い買い物する時は「ああ、僕の給料半日分ね」(ドヤッ)みたいな感じで

パチンコ以外で考えるのがパチンコ・パチスロと縁のなかった人が送る人生なのかもしれないが

こちとらスロットで借金して消費者金融に詰められて散々親に迷惑をかけその後の人生も苦労したモノホンのパチンカスだ、あらゆる基準はギャンブルが根底にある

根っこから腐ってる

そんな正月のミカン道頓堀の底みたいな腐った生活というか経験をしてた頃の話はこちら

上記の記事ではスロットにドはまりして人生\(^o^)/オワタな生活をしていた話ですが、今回はパチンコ業界で働いていたお話をしようと思います

なお、基本ブログというのは誰かの悩みを解決したり、為になるような記事を書くのが大切らしいですが、この記事は何も得るものがありません

そりゃそうだ、クズの昔やってた仕事の話が誰の何の役に立つというのか教えてほしい

まだ警備員時代の話の方が、業界の雰囲気が分かるだけマシというものだ


機会があれば読んでみてほしい、皆が皆ではないがこんな会社もあるんだよと少しは人生の参考になるはず。

個人的に言えることは、働いていて頭に?おかしくない?的な物が浮かんだら常識を疑うことをおススメする。

当時は脳みそがとろけていたのでそれが普通と思っていた。

パチンコ業界の世間から見たイメージ(現代編)

パチンコ店に勤務していた頃の話だが、基本的にあの業界は世間からゴリッゴリに白い目で見られがちである。

最近ではコロナ禍で営業自粛要請を受けて、近隣店舗が軒並み足並みを揃えて営業自粛をする一方で、自粛要請をガン無視し営業して叩かるテンポがあったり、夏の電力不足が叫ばれる中、ネオンがピッカピカ光るイメージのパチンコ屋は真っ先にやり玉にあげられましたね。

後は有名どころではパチンコ台をハンマーでどつき回った牙狼ハンマーおじさんとか

負けた腹いせに来るまでパチンコ屋に突っ込む城門突破事件

常人では到達できない思考回路と発想力もさることながら、それを実現させる実行力は天晴と言える。

しかしそれをもうちょい別の事に使えていればと思わなくもないが、音とフラッシュで脳を焼かれているので仕方がない。

最近のメーカーは音と光で攻撃をしてくる。

洗脳か?

頼むからもう少し別の所(出玉とか)で脳を焼かせてくれ。

とまぁ、平成が終わり令和になった現代もパチンコ業界に対するイメージはそこまでよろしくない。

補足しておくが、パチンコ業界自体は健全でクリーンなイメージを持ってもらう為に様々な努力をしている。

災害などが起これば被災地に寄付したり、グループによっては朝の近隣住民との清掃活動など、対外的な活動に力を入れているし、実際に従業員総出で歩道などの清掃をしているのを見かけたことがある。

その他にも接客内容や人材育成などそれぞれの企業がコンプライアンスを遵守したりして、働きやすい職場づくり(一部役職者除く)に勤しんだりと業界自体の努力が垣間見える。

しかし、上記のようにやらかしてくれる客や、スロットと体で稼ごうやで有名な設定漏洩で雇ったサクラと共に逮捕された店長など、お金が大きく絡む業界なだけにそういったネタには困らない。

今は遠隔や台の情報などの本来は業界人でなければ知る事のない話を現役の店員、店長がYouTubeやSNSで情報を配信するなど、業界人以外でも簡単に情報を拾える時代になったのも大きい。

そういった背景から、良いか悪いかは別として現代は世間にパチンコ屋とはどういうものなのかを知りやすい環境にあるといえる。

パチンコ業界の世間から見たイメージ(一昔前編)

僕は学校卒業と同時にバイトで働きだしましたがものっすっごい白い目というかなんかこう可哀そうなもん見る目でしたね。

就職ミスったん?

他にもうちょいあるやろになんでパチ屋?

まぁ……働くだけマシちゃう?

基本こんな感じ。

世間的なイメージはボチボチ悪かった。

今では考えられないがホール巡回中でも普通にタバコが吸えたし髪型も自由、唯一決められていたのは制服だが、白のワイシャツに会社支給のネクタイと服装でようやく店員と客が判別できる状態。

クリーンなイメージなんてありゃしない。

就職できなかったからとりあえずパチ屋で働きだした、そんなイメージ持たれてました。

ちなみにその当時働いてて出会ったネジの飛んだお客さんやスタッフの話はこちら

当時のパチンコルール、定量制と無制限

店内も現代では考えられませんが、パチンコでは初回偶数数字で大当たりすると定量制という札を大丈夫に差し、奇数数字での大当たりでは無制限札を貼りました。

これは何かというと、無制限札は確変が終わり、時短を抜けてもそのまま続行して打つことができたが定量制は初回偶数数字での大当たりなので、大当たり終了→時短→通常。

この通常まで行くと持ち球は一度交換し、再度現金で戦うことになる。

尚、確変大当たりか通常当たりは直接確認する以外に方法が無いので、シマ端の大当たりランプが点灯したら巡回しつつ確認しに行くのだが、当時はスタッフが全員マイクを持って、台番号と大当たり種類をアナウンスするルールがあったので見逃すことはほぼ無かった。

お客さんが10人越えることは稀というのもある。

当時の換金率、釘(店による)や台のスペックだとか色々あるが、当時はそれが当たり前だったのでお客さんも何も言わなかったが、2022年現在でこのルールが復活したらまず間違いなく阿鼻叫喚……

と、思ったが今のパチンコはラッシュ駆け抜けやスルーで1000発以下の出玉をもらってもう一度319分の1を抜ける修行に勤しむので冷静に考えたら当時よりも現代の方が狂ってるまである。

一応当時の海物語で確率は忘れたが2400発はもらえた気がする。

箱も今みたいに上げ底でなく2000発入れても余裕があるぐらいの大箱で、計量台までもっていくスタッフの腰をブレイカーしにきていた。

当時働いていた店では台車などなかったので全部人力。

頼むから球を鬼みたいに盛るのはやめてくれ、重ねて運ぶとき地獄なんだとコース巡回してて舌打ちしたことがあります。

当時のスロットルール、クレオフや設定確認

僕の働きだした当時の台のラインナップは何だったか。

何せ田舎の小規模店舗だったので最新台が入るのは少し遅れてのタイミングだったが、確かヤマサのキングパルサーや初代猪木があった気がするがもはや記憶は曖昧である。

で、2000年代初期から何年ぐらいだろう、多分2007年ぐらいまでが僕の知るスロット全盛期で狂ったようなハウスルールが鬼のようにあった。

まずはスロットというのは基本的に設定が1~6までで数字が高くなるほど勝ちやすくなるという認識でほぼ間違っていないが、当時のスロット機の高設定は本気で壊れていた。

あげるとキリがないが獣王を筆頭にGODや金太郎、アラジンなど爆裂AT機と言われた台の多くは設定6は別格で30万40万は当たり前に出るそんな時代。

なので、台の設定が分かるというのは大きなアドバンテージとなった。

普通に打っていると設定が分かるのか?と言われれば、100%設定6だとわかる演出がスロット台に搭載されていない限りは無理ですが、それを可能にする方法がいくつかあったのでご紹介します。

設定6を示唆する店独自の演出

まずはクレオフ

大当たり終了後にクレジットが強制的に排出される機械設定で、大量獲得Aタイプの大花火などでよくみられましたが、これは1回交換がルールづけられた店舗でよく使われていました。

高設定を使う代わりに当たるたびに交換してもらい現金で投資してもらう手法で、店側としてはそういうところで利益を上げていくためのものでした。

じゃあ1回交換でもないのにクレオフされたら?

これは本当に店舗ごとに違いますが、イベントでクレオフ設定の台は6に打ち換えます(元々の設定は1)であったり、クレオフ台は高設定確定!と謳う店舗が多かった。

他にも高設定を確信する手段としては設定確認という手段がありました。

これはどういうものかというと書いて字のごとく読んで字のごとく物理的に台を開けて設定を確認する方法です。

発生条件は色々ありますが、クレオフ時に店員が打ち換えましたと確認させてくれたり、閉店後に高設定謳ってたのに鬼ほど負けたおっちゃんが店員さんに優しく丁寧にお願いして確認するなど様々な手段がありました。

割と多くの店で存在していたポイントカード

当時は会員カードとは別、もしくは兼用でポイントカードが存在していました。

ポイントの加算方法は店によっても様々で

  • 来店ポイント(店に来るだけで1ポイント)
  • 大当たり引くたびにポイント
  • 夕方5時や閉店間際まで遊戯していたらポイント
  • 木曜日は来店ポイント2倍

他にも店舗独自の加算方式がありましたが、エグイのはポイントの効果。

何とも言えない店舗オリジナルグッズや景品との引き換えはほとんど交換されることも無いので置いておいて、ほとんどの人が狙ったのが

設定打ち替え権

30ポイントで設定4

40ポイントで設定5など、刻んでくる店舗もあれば、50ポイントで設定6といきなりぶち込んでくる店舗もあり

もちろん現在はすべて禁止

当時からも色々とグレーなイベントのオンパレードでしたが、今ではその全てが禁止となり、クレオフや設定変更、リセット操作など営業内に行うと営業停止を食らう内容です。

じゃあ当時は良かったのかと言われれば限りなく黒に近いグレーゾーン。

僕は店舗経営などの経験はなく、the下っ端アルバイトだったので裏の事情とかはまったくわかりませんが、そこら中の店でまかり通っていたのでなんやかんやいけたのでしょう。

2022年現在にそんなイベントをやろうものなら即座にSNSで拡散され営業停止待ったなしになるのは間違いないので、偉い人が「昔みたいに射幸性ガンガン煽りまくるイベントやっていいよ」とでも言わない限りはまず無理です。

個人的には禁止になって良かったなと思います。

なぜかって?

間違いなく借金作って家庭崩壊させるから

パチンコ屋も時代の変化に合わせて変わっていく(まとめ)

正直な話昔に比べて店側にも客側にもかなり厳しい時代になったと思う。

僕は基本的に最新のパチンコ台の情報や業界の話は現役設定師さんのYouTubeチャンネルをメインで拝見させていただいていますが、店と客だけでなく店とメーカーなど一般のお客さんが知りえない情報も発信してくれるのは非常に嬉しい。

その情報を見ている限りではやはりコロナウイルスの蔓延や台自体の高騰や部材不足、規制など様々な問題があるように思うが、規制に関してはまぁ……うん、正直やりすぎてはいたんじゃないかと思う部分はあったりする。

だって、爆裂AT機時代に万札10枚以上持って「これ全部突っ込むから」って覚悟決めた顔してみんな打ってた時代。

控えめに言って頭がおかしい。

その万札稼ぐのにどんだけ苦労したんだい?と、思わなくもないが自分も脳みそ焼かれてた側なのでとやかく言えない。

ぶっちゃけ投資額が10万超えてきたら金は金でなくメダル引換券みたいな認識になってくる。

コインサンドという名のシュレッダーの誕生である。

しかし、今ではそのほとんどが規制されるほどやりすぎであったとしても熱狂的なファンが多くいたということはそれだけイベントや台も含めてみんなパチンコ、スロットが好きだったのは間違いない。

特に復活してほしいとも思わないが、縛られた中でも抜け道を見つけ出して、穴をついてお上を怒らせるのが好きな業界なので今後も色々とやってくれるのを期待している。

今では経験できないパチンコ屋のちょっとした昔話と業界でアルバイトしてた頃のちょっとした触りの思い出。

別の記事では働いていた頃の話をガッツリピックアップしてご紹介する予定ですので、そちらも是非よろしくお願いします。

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