時代はパチスロ全盛期、4号機時代。
この記事はギャンブルに溺れたクズが、やらかしにやらかし倒して後の人生に響きまくった話です。
パチスロを知らない方向けに補足すると、4号機というのは2004年頃まで稼働していたパチスロの機種区分で、現在は規制で存在しない「一撃で数十万円分出る」ような爆裂機が普通に稼働していた時代です。
そんな時代に脳みそを焼かれた男の話を、少し生々しいエッセイを読む感じで楽しんでもらえたら幸いです。
この記事でわかること
- パチスロ依存がどのように始まり、どう悪化していくか
- 消費者金融を複数利用した結果、実際に何が起きるか
- 借金総額・焦げ付かせた社数・その後の影響
- どうやって立て直したか(具体的な方法)
- 今現在同じような状況にある方へ伝えたいこと
まず結論:やらかした規模を先に言います
読み始める前に規模感だけ先に共有しておきます。
- 消費者金融:5社(合計限度額110万円、全部限度額いっぱいで焦げ付かせ)
- 親への借金:示談金含め150万円規模
- クレジットカードが作れなかった期間:30代中盤まで約10年以上
- フリーターでも審査が通ると言われていた某カードにも謝られた
「頭おかしい」と思ってもらって正解です。自分でもそう思います。
パチスロとの出会い、最初はまだまともだった
近所のパチンコ屋にモーニング狙いで学友に誘われたのが全ての始まりです。
当時バイトもしていなかったので、モーニング台を引き当てて1,000円で大体ワンBIG380枚前後。7枚交換で5,000円くらいになる計算で、学生には十分すぎる金額でした。
※モーニングとは、スロットに朝一から当たった状態で電源を入れてもらえるサービスのこと。店によっては開店から1時間は換金できないルールもあった。
最初はモーニング台を引けたら換金してそのまま学校へ、引けなかったら1,000円失ってしょんぼり学校へ、というサイクルで、この頃はまだまともでした。
しかし人間の欲というのはエグくて、次第に「朝一のボーナス分をそのまま打ち込む」ようになりました。
ちなみに今ならわかりますが、モーニングが仕込まれた台は大体設定1です。後にパチンコ屋に就職した際に教えてもらいました。
何はともあれ、ここからズブズブになっていきました。
パチ屋に就職、給料が全部消える時代
なんやかんやあって、通っていたパチンコ屋から200m離れたライバル店に就職しました。
当時はパチンコ屋が乱立していて、「パチンコ屋の位置で地理の説明ができる」レベルでした。
競合店に打ちに行くのは禁止されていたので、隣町のパチンコ店をハシゴするクズみたいな生活。
この頃の代表的なクズmoveがこちらです。
- スロットのイベント日に出だしたら嘘をついて仕事を休む
- 同じ理由で友達との約束をドタキャンする
- 親の財布から金を抜く
- 友達に金を借りる
- 消費者金融デビュー(最初の1社)
うちの母親、財布からお金を抜かれすぎて寝る時に財布を抱いて寝るようになりました。今となってはただただ申し訳ない。
この頃はまだ消費者金融1社だけで、借りてその月の給料日に全額返すという「一応まともな運用」をしているつもりでした。パチンコ屋の給料は当時わりと良かったので、収支のバランスはギリギリ保てていた時期です。
本格的な転落:2003年以降
2003年と言えば、後に伝説となったS北斗の拳と吉宗が登場した年です。
この2台に脳みそを焼かれた記憶が強烈で、ここから金遣いが一気に荒くなりました。
当時の最高勝ち額は北斗万枚で15万円ほど。最高負け額は吉宗で天井バケ単3連を食らった時で、サンドがシュレッダーにしか思えない感覚でした。
この頃、消費者金融が3社に増えました。
そのころの生活の実態
- たばこは吸う
- 維持費が高いのにスポーツカーに乗る
- 携帯料金は平気で延滞
- 車の税金・保険も1ヶ月遅れが当たり前
- 彼女とのデートコースは基本パチンコ屋
- 節約のため昼飯はコスパ重視の菓子パン
- 消費者金融の金と自分の金の区別がつかなくなる
- 実家のポストに来る督促状を親に見つかる前に回収するのが日課
仕事はしていました。それだけはかろうじてまともだったかもしれません。でもクズはクズです。
大阪デビュー、そして人生の底へ
この辺の時系列が正直あやふやなんですが、自分の動きは大体こんな感じでした。
地元 → 大阪南部で一人暮らし → 地元に出戻り → 大阪中心部(雀荘勤務時代)
打っていた機種で「あの頃どこにいたか」がわかるのはある意味便利です。
借金を抱えたまま都会で一人暮らしをしようとするメンタルがどこから来たのか、今読み返しても自分の話のはずなのに他人のエッセイを読んでいる気持ちになります。
雀荘勤務時代については別記事で書いています。今読み返しても吐きそうになるぐらい酷い思い出です。
→ 人生の底に最も近かった雀荘勤務時代【修羅場・ヤバい客・限界まで全部語る】
結局、消費者金融は何社・いくら借りたのか
雀荘時代に最初の3社から2社増えて、最終的に5社になりました。
| 消費者金融 | 限度額 |
|---|---|
| A社 | 50万円 |
| B社 | 30万円 |
| C社 | 10万円 |
| D社 | 10万円 |
| E社 | 10万円 |
| 合計 | 110万円 |
全部、限度額いっぱいまで使って焦げ付かせました。
雀荘に勤めていた最初の3ヶ月はお給料がマイナスだったことに加えて、相も変わらずパチスロに狂っていたので、こうなるのは必然でした。
最終的にどうなったのか
大阪から地元に帰ってきたきっかけは、リアルにアンダーグラウンドなトラブルに巻き込まれて示談金が発生したことです。
辞めるに辞めれない環境から抜け出すきっかけが「示談金が発生するレベルのトラブル」だったというのは、良かったのかどうかなんとも言えませんが、その示談金も含めて親に泣きつきました。
最終的な借金総額:示談金含めて150万円規模
これを親に肩代わりしてもらい、その後何年もかけて全額返済しました。
ただ、全部清算したからといってすぐに真人間になれたかというと、そんなことはありませんでした。
大きな借金はできなくなっただけで、給料はスロットにぶち込むし、金が無くなれば知人に借りる。
断言しますが、人間はそう簡単には変わりません。
結婚したら変わると思っていた。子供ができたら変わると思っていた。でも周りを見ていると、ほとんどそうはなりませんでした。表面上変わっていても、一回ギャンブルに手を出すと依存症のように繰り返す。
今はなんとかまともな生活ができています
全部清算してから何年もクレジットカードが作れず、携帯も分割で買えない期間が続きました。
それでも今は、結婚して家も建てて子供も授かり、人並みのまともな生活を送れています。
ただ、いつ一皮むけて全部手放してしまうレベルで狂ってしまうかわからないので、今でも気をつけています。FXでまあまあな額を溶かした時期もありましたが、なんとか持ち直しました。
同じ状況の方へ:どうやって立て直したか
持ち直した一番のきっかけは2つです。
① 全ての借金を清算して、まっさらな状態になったこと
借金を抱えたまま「変わろう」とするのは、穴の開いたバケツで水を貯めようとするようなものです。まず穴を塞ぐことが先です。親や知人に頭を下げるのは辛いですが、それができない状況なら債務整理(任意整理・自己破産)という法的な手段も選択肢としてあります。恥ずかしいことではなく、むしろ逃げずに向き合う方法の一つです。
② 収入に見合わない支出をやめること
月収15万円で生活費に10万円かかるなら、使えるのは5万円です。5万円はパチンコ屋では朝から夕方までに溶けます。それだけシンプルな話なんですが、頭がバグっている時には見えません。
まずパチスロ・パチンコを完全にやめることが先です。家族ができようが守るものができようが、ギャンブルの熱に脳みそを焼かれたら平気でやります。経験談です。
すっぱり辞めてある程度ゆとりができてから、初めて「嗜む程度」に戻せるかどうかを判断してください。
参考:相談できる窓口
借金に困ったら、一人で抱え込まず専門機関に相談してください。
- 日本司法支援センター(法テラス):収入が少なくても無料で法律相談ができます
- 国民生活センター:借金・多重債務の相談窓口あり
- ギャンブル依存症問題を考える会:依存症そのものの相談ができます
まとめ:クズロードを走って、なんとか一般人の皮をかぶれました
全ての始まりは学生時代、モーニング狙いでパチンコ屋に足を踏み入れたことでした。
消費者金融5社・合計110万円を焦げ付かせ、示談金含めて150万円を親に肩代わりしてもらい、10年以上クレカが作れない期間を過ごしました。
振り返れば中々エグい経歴ですが、今は人並みの生活ができています。
この記事を読んで少しでも思い当たることがある方、まだ引き返せるうちに顧みることをおすすめします。マジで取り返しがつかないこともあります。信用・人間関係・時間、失うものの方が多いです。
「自分は大丈夫」と思っているなら、8割方それは過信からくる勘違いです。頭がバグっている時は本当にわからないものです。
こいつアホやwwwと思いながら読んでくれた方、明日は我が身ですよ。
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